2005年 07月 26日
アフリカへの道(2) 中国青海省、西寧(シーニン)、ゴルムド |
西域への入り口、陝西省西安を出て隣の甘粛省蘭州へ。1泊。蘭州からさらに隣の青海省、自治区以外の「省」の中では最も広い省、青海湖という中国で最大(だったかな??)の湖のある高原の省の省都、西寧へ。1泊。ここはもうチベットの入り口で、標高も2000mを超える。チベット仏教の有名なお寺がある。
この西寧からゴルムド(格爾木)までの経路の記憶がはっきりとしない。汽車で行ったような気もするが、青海湖の湖畔で休憩し、中国の人たちに混ざってまるで海のような湖を眺めながら、大きな大きな天地の中で野ぐそをしたような記憶がある。結局、ゴルムドから入りたかったチベットへの入境は果たせずまた西寧に戻ってきたので、往きをバス、帰りを汽車で往復したのだろう。西寧〜ゴルムドは地図で見ると直線距離で500kmくらいだから、朝早くに出て12時間ほど走って一日で着いたか、途中1泊したか、定かでない。
上記の通り、ゴルムドに着いたものの、そこからさらに数百キロ南下するチベットへは入れず、1、2泊してまた西寧に引き返した。この頃は(今でもそうだが)とにかく車窓に映る景色がどこもかしこも初めて見る地形、風景ばかりなのでそれに見とれ、バスや列車で旅行すること自体が楽しく、ひたすら車窓を眺めていた。まるで窓の手すりにあごをのっけて外ばかり見ている小学生のよう。でもほんとに楽しかった。(この頃の写真をアップ出来たらいいのに)
後日談だが、2年後の1993年5月、京都の美山町で暮らしていた僕は、今はチベットに入れるらしいという噂を聞き、夏に予定していたモンゴル旅行を急遽変更し、チベットに入った。その時もこのゴルムドからのルートだった。それはそれは苦しい旅で、バスで途中1泊してチベットの主都ラサに着いたときは、もうすぐに飛行機で低地へ帰りたいと本気で思っていた。高山病のせいだ。強烈な頭痛と吐き気(よく吐いた)、思考能力の低下。もう散々だった。でもその気分は半日でけろっと治り、そのあとチベットに2ヶ月半滞在することになる。
この西寧からゴルムド(格爾木)までの経路の記憶がはっきりとしない。汽車で行ったような気もするが、青海湖の湖畔で休憩し、中国の人たちに混ざってまるで海のような湖を眺めながら、大きな大きな天地の中で野ぐそをしたような記憶がある。結局、ゴルムドから入りたかったチベットへの入境は果たせずまた西寧に戻ってきたので、往きをバス、帰りを汽車で往復したのだろう。西寧〜ゴルムドは地図で見ると直線距離で500kmくらいだから、朝早くに出て12時間ほど走って一日で着いたか、途中1泊したか、定かでない。
上記の通り、ゴルムドに着いたものの、そこからさらに数百キロ南下するチベットへは入れず、1、2泊してまた西寧に引き返した。この頃は(今でもそうだが)とにかく車窓に映る景色がどこもかしこも初めて見る地形、風景ばかりなのでそれに見とれ、バスや列車で旅行すること自体が楽しく、ひたすら車窓を眺めていた。まるで窓の手すりにあごをのっけて外ばかり見ている小学生のよう。でもほんとに楽しかった。(この頃の写真をアップ出来たらいいのに)
後日談だが、2年後の1993年5月、京都の美山町で暮らしていた僕は、今はチベットに入れるらしいという噂を聞き、夏に予定していたモンゴル旅行を急遽変更し、チベットに入った。その時もこのゴルムドからのルートだった。それはそれは苦しい旅で、バスで途中1泊してチベットの主都ラサに着いたときは、もうすぐに飛行機で低地へ帰りたいと本気で思っていた。高山病のせいだ。強烈な頭痛と吐き気(よく吐いた)、思考能力の低下。もう散々だった。でもその気分は半日でけろっと治り、そのあとチベットに2ヶ月半滞在することになる。
by jitsuyoshi
| 2005-07-26 04:00
| アフリカへの道、Out of Afric