2005年 07月 23日
震災負傷者の話 |
今日(7/23)、神戸であるフォーラムがありました。なかなか内容のあるフォーラムでその全容を伝える力はありませんが、ごく一部、特に感銘を受けた震災負傷者の人の話を紹介します。
災害で家族を失った人、家を失った人には注目が集まったが、大怪我を負った人、後遺症の残った人への社会的支援は手薄だった。支援の手が差し延べられないだけでなく、社会から自分たちは忘れ去られ、置き去りにされているという不安。
尼崎のJR事故でも同じ状況が生まれているようです。私ちがつい見落としてしまう、大切な部分。いいフォーラムした。
「災害救援・たった一人に視点再び
市民社会フォーラム<ポスト震災10年の展望>」より
震災負傷者の話
・・・M.K.さん(Y.K.さんの母)
当時中学3年生の長女Y.K.さんが震災で大怪我、転々とした病院も機能停止状態。3つ目で「あと12時間の命」「助かる可能性は3%」と言われ死線をさまよったが、一命を取り留めた。回復し3ヶ月後に退院。しかし外見からはよく分からないが、重い障害が残った。「高次脳機能障害」という状況であることが分かるまで何年もかかった。
以下、M.K.さんの言葉から。
(新聞にも載っている人なので匿名にする必要があるかどうか分かりませんが)
◆負傷者用の相談窓口がなかった!
・広報誌・新聞などを探し回ったが、なかった。
負傷した人、後遺障害を負った人が悩みや困り事を相
談できる窓口が、本当になかった。
・心のケアはあったのに。「心やない、体や!」とこだ
わった。心というなら、うちとこなんかみんなPTSD。
元気な体が奪われたこのしんどさを分かってほしい。
◆仮設住宅に入って、ようやく人とのつながりを得られた
・病院ではお医者さんや看護師さんらがいて居場所も
あったが、退院し自分の実家に世話になると、社会か
ら切り離されてしまい一切のつながりを失った。行政
の人も訪ねてこない。
・ところが仮設住宅に入ると、自治会の人、民生委員、
ボランティアの人など、1週間で20人くらいと知り
合いになれた。震災体験のことは言わなくても通じた。
一緒に泣いてくれる人がたくさんいた。他人に癒され
るという体験を得た。
◆「生きているだけいいじゃないの」
・よくそういう言い方を聞かされてきた。
・あるフォーラムで車椅子の人が、「今度また震災が
あったら、もう生きていたくない」と。なんて寂しい
こと。しかしその気持ちはよく分かる。
◆「これまでほったらかしにしてきたんやね。ごめんね」
(神戸大学岩崎教授)
M.K.「そうよ。ほったらかしにされてきたんよ」
・震災から10年、初めて行政に近い人(ママ)からそう
言ってもらって、心の氷が一つ溶ける感じがした。
◆介護者への支援という話がありがたかった。
・私はずっと娘を介助してきてしんどかった。その
視点を忘れないでほしい。
・ネットワークということの大切さ、ありがたさをこう
いう場で痛感した。
災害で家族を失った人、家を失った人には注目が集まったが、大怪我を負った人、後遺症の残った人への社会的支援は手薄だった。支援の手が差し延べられないだけでなく、社会から自分たちは忘れ去られ、置き去りにされているという不安。
尼崎のJR事故でも同じ状況が生まれているようです。私ちがつい見落としてしまう、大切な部分。いいフォーラムした。
「災害救援・たった一人に視点再び
市民社会フォーラム<ポスト震災10年の展望>」より
震災負傷者の話
・・・M.K.さん(Y.K.さんの母)
当時中学3年生の長女Y.K.さんが震災で大怪我、転々とした病院も機能停止状態。3つ目で「あと12時間の命」「助かる可能性は3%」と言われ死線をさまよったが、一命を取り留めた。回復し3ヶ月後に退院。しかし外見からはよく分からないが、重い障害が残った。「高次脳機能障害」という状況であることが分かるまで何年もかかった。
以下、M.K.さんの言葉から。
(新聞にも載っている人なので匿名にする必要があるかどうか分かりませんが)
◆負傷者用の相談窓口がなかった!
・広報誌・新聞などを探し回ったが、なかった。
負傷した人、後遺障害を負った人が悩みや困り事を相
談できる窓口が、本当になかった。
・心のケアはあったのに。「心やない、体や!」とこだ
わった。心というなら、うちとこなんかみんなPTSD。
元気な体が奪われたこのしんどさを分かってほしい。
◆仮設住宅に入って、ようやく人とのつながりを得られた
・病院ではお医者さんや看護師さんらがいて居場所も
あったが、退院し自分の実家に世話になると、社会か
ら切り離されてしまい一切のつながりを失った。行政
の人も訪ねてこない。
・ところが仮設住宅に入ると、自治会の人、民生委員、
ボランティアの人など、1週間で20人くらいと知り
合いになれた。震災体験のことは言わなくても通じた。
一緒に泣いてくれる人がたくさんいた。他人に癒され
るという体験を得た。
◆「生きているだけいいじゃないの」
・よくそういう言い方を聞かされてきた。
・あるフォーラムで車椅子の人が、「今度また震災が
あったら、もう生きていたくない」と。なんて寂しい
こと。しかしその気持ちはよく分かる。
◆「これまでほったらかしにしてきたんやね。ごめんね」
(神戸大学岩崎教授)
M.K.「そうよ。ほったらかしにされてきたんよ」
・震災から10年、初めて行政に近い人(ママ)からそう
言ってもらって、心の氷が一つ溶ける感じがした。
◆介護者への支援という話がありがたかった。
・私はずっと娘を介助してきてしんどかった。その
視点を忘れないでほしい。
・ネットワークということの大切さ、ありがたさをこう
いう場で痛感した。
by jitsuyoshi
| 2005-07-23 20:51
| NPOの活動