2005年 07月 22日
The Ngong Farm(アフリカへの道(1)) |
I had a farm in Africa, at the foot of the Ngong Hills. The Equator runs across these highlands, a hundred miles to the north, and the farm lay at an altitude of over six thousand feet. In the day-time you felt that you had got higt up, near to the sun, but the early mornings and evenings were limpid and restful, and the nights were cold.
私はアフリカに農園を持っていた。ンゴング丘陵のふもとに。赤道が丘陵の百マイル北を走り、農園は6000フィートを超える高さにあった。日中は太陽に近づいたように暑く感じるが、早朝や夕方は(limpidってなんだ?)で気持ちがよく、夜は寒かった。
(『アフリカの日々』冒頭部分より;私訳)
あれは1991年だからもう14年前。2年だけ勤めた会社を辞めて、僕は旅に出た。
神戸から鑑真号という、2泊3日で上海に着く船に乗って中国へ。目指すは東アフリカ、ケニアやウガンダ、タンザニアといった国々。それを飛行機でひとっ飛びというのはもったいないから極力陸上をいくことにした。あわよくば東アフリカから南にくだり、あるいは西アフリカに出て北上してヨーロッパへもと思っていた。
神戸を出たのが確か4月16日。経由する国は中国、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシャ。船で渡ったエジプトから、可能なら陸路をスーダンを経てケニアへ。ひと月では無理だろうが3ヶ月あれば行けるだろうと思っていた。ところが実際にいってみればそんなに速くは行けない。行けなくはないがもったいない。一ヶ国あたりおおよそ一ヶ月かけて、ケニアのナイロビに着いたのは確か9月だったか。
驚くべきことに、僕はこの旅行から数年の間は、何月何日にどこにいたか、はっきり覚えていた(今でもだいたいは思い出せる)。今のこのひどい記憶力からは想像もできない。それほどこの旅は自分にとって鮮烈で刺激に満ちたものだった。
4月18日、上海着。2、3泊して南京へ。1、2泊。虐殺記念館だけみて、長距離列車で西安へ。寝台で中国人のおっちゃんと隣り合わせになり、筆談でコミュニケーション。あごが疲れるほど歯ごたえのある鶏のもも焼きを1本くれた。彼の歯とあごの頑健さに感動していた。
西安では仏塔や博物館に行ったが、西域の入り口のこの街で「麻辣麺」なる真っ赤なラーメンを食べた。いや食べようとした。その時は半分食べるのが精一杯だった。
西安から青海省の西寧(シーニン)、そしてチベットの入口の町ゴルムドへ。
アフリカはまだ遠い。
私はアフリカに農園を持っていた。ンゴング丘陵のふもとに。赤道が丘陵の百マイル北を走り、農園は6000フィートを超える高さにあった。日中は太陽に近づいたように暑く感じるが、早朝や夕方は(limpidってなんだ?)で気持ちがよく、夜は寒かった。
(『アフリカの日々』冒頭部分より;私訳)
あれは1991年だからもう14年前。2年だけ勤めた会社を辞めて、僕は旅に出た。
神戸から鑑真号という、2泊3日で上海に着く船に乗って中国へ。目指すは東アフリカ、ケニアやウガンダ、タンザニアといった国々。それを飛行機でひとっ飛びというのはもったいないから極力陸上をいくことにした。あわよくば東アフリカから南にくだり、あるいは西アフリカに出て北上してヨーロッパへもと思っていた。
神戸を出たのが確か4月16日。経由する国は中国、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシャ。船で渡ったエジプトから、可能なら陸路をスーダンを経てケニアへ。ひと月では無理だろうが3ヶ月あれば行けるだろうと思っていた。ところが実際にいってみればそんなに速くは行けない。行けなくはないがもったいない。一ヶ国あたりおおよそ一ヶ月かけて、ケニアのナイロビに着いたのは確か9月だったか。
驚くべきことに、僕はこの旅行から数年の間は、何月何日にどこにいたか、はっきり覚えていた(今でもだいたいは思い出せる)。今のこのひどい記憶力からは想像もできない。それほどこの旅は自分にとって鮮烈で刺激に満ちたものだった。
4月18日、上海着。2、3泊して南京へ。1、2泊。虐殺記念館だけみて、長距離列車で西安へ。寝台で中国人のおっちゃんと隣り合わせになり、筆談でコミュニケーション。あごが疲れるほど歯ごたえのある鶏のもも焼きを1本くれた。彼の歯とあごの頑健さに感動していた。
西安では仏塔や博物館に行ったが、西域の入り口のこの街で「麻辣麺」なる真っ赤なラーメンを食べた。いや食べようとした。その時は半分食べるのが精一杯だった。
西安から青海省の西寧(シーニン)、そしてチベットの入口の町ゴルムドへ。
アフリカはまだ遠い。
by jitsuyoshi
| 2005-07-22 02:53
| アフリカへの道、Out of Afric